さて、今回は食べれば心がほっと温まる、国民的おふくろの味についてのお話です。
味の染みた肉にほろりとくずれるジャガイモ。かつては、得意料理に挙げれば男子にモテる!なんていわれたキングオブ・家庭料理。それは……そう!ご存知「肉じゃが」。
何を隠そう、その発祥地といわれるのが、京都府の舞鶴市なんです。今回は、誕生物語から元祖レシピまで、肉じゃがにまつわるアレコレをご紹介します。
東郷平八郎が生みの親!? 肉じゃが誕生物語
日露戦争が迫る明治34(1901)年、舞鶴市に旧日本海軍の「舞鶴鎮守府」が開庁。その初代司令長官として赴任してきたのが、のちに最強と謳われたロシアのバルチック艦隊を撃破し、軍神と称される東郷平八郎その人でした。
旧海軍舞鶴鎮守府の軍需品などの保管倉庫だった舞鶴赤れんがパーク
若き頃、イリギスに留学した経験をもつ東郷さん。かの地で食べたビーフシチューの味が忘れられず、ある日、料理長にこう命じます。「ビーフシチューを作れ」。東郷さんは材料や色などイメージを伝えますが、当時は、デミグラスソースに欠かせない赤ワインなど手に入らない時代。料理長は代わりに醤油や砂糖を使い、試行錯誤の末、一つの料理を完成させました。
それはビーフシチューとは似て異なる料理でしたが、食べてみればこれはこれでおいしい!しかも牛肉を効果的に食べられ、航海中の栄養不足で脚気(かっけ*)などにかかることが多かった海軍にはもってこいではないか!! こうして、生まれた肉じゃがは、革新的な艦上食として広まり、やがて家庭料理として定着していったといわれています。
*脚気:ビタミン欠乏症の一つ。足のしびれやむくみなどを引き起こし、最悪の場合は死に至る。当時は、旧日本海軍軍医の高木兼寛によって、タンパク質の不足が原因説がささやかれていた。
旧日本海軍の肉じゃがレシピが舞鶴に!
そんな東郷さんのムチャ振り(笑)から生まれた、旧日本海軍肝いりの肉じゃが。実は、舞鶴にはその作り方がのったレシピがあるんです。その資料は全国で唯一現存する「海軍厨業管理教科書」。海軍の厨房業務に携わる兵士に向けた教科書ですね。原本は今も、舞鶴海上自衛隊第4術科学校の図書館に保管されているそうです。
こちらが、肉じゃがのレシピが載っているページです。右から2枠目を見ると、材料の欄に「生牛肉、蒟蒻、馬鈴薯、玉葱、胡麻油、砂糖、醤油」と書いてあります。うん、これは間違いなく肉じゃがの材料!当時は「甘(あま)煮」と呼んでいたんですね。
資料写真提供:舞鶴市
教科書の味を再現した元祖肉じゃが
しかし見てわかる通り、この教科書には材料と作り方は書いてありますが、肝心の分量や具材の切り方がわかりません。せっかく発見された、貴重な元祖肉じゃがレシピ。なんとか町おこしに使えないか……と立ち上がったのが、現在「まいづる肉じゃがまつり実行委員会」の料理長を務める伊庭さんでした。
作り方に書いてある分数をもとに、具材の切り方をアレコレ試し、調味料の分量を検討。かつての海軍の料理長のように、試行錯誤を繰り返して完成したのが、こちらのレシピです!
書いてある分数は、作り始めからの通算。ゴマ油だけで3分!? 牛肉をトータル14分も炒めるの!? と思うかもしれませんが、旧日本海軍の味を再現するには「書いてある分数を守ることが大切なの」と伊庭さん。これを守ることで、出汁を使っていないのにコク深い、独特の肉じゃがになるそうです。
伊庭さんは肉じゃが作り体験も実施されているので、舞鶴に行った際は、ぜひ参加してみてくださいね。
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http://www.uminokyoto.jp/experience/detail.php?exid=25
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