まち歩きと観光をこよなく愛するライターさかもとみえです。第2弾では、古墳のきほんを学んでから、京丹後のオススメ古墳ベスト3を訪ねましょう!
丹後の古墳・墳墓を訪ねる前に知っておきたい
古墳とは?
日本各地にいた有力者のお墓で権力を象徴するものです。今もなお新しいものが見つかっているとか。古墳時代(3C中旬~7C)の約450年間につくられたもので墳丘があるものを「古墳」と呼び、天皇・皇后の陵墓については「天皇陵」と呼びます。
どんな形や大きさがある?
お馴染みの前方後円墳に加え、前方後方墳、円墳、方墳とざっくりと分けると4つ。とってもユニークな帆立貝式などもあり形はさまざま。なかでも古墳の最高位はなんといっても前方後円墳。3世紀中ごろに成立した形で、大王(おおきみ)やその一族、ヤマト政権と密接な関わりを持つ者だけがつくることを許されたそうです。丹後地方には200m級の大規模な前方後円墳が2つもあります。
【イラスト:カタオカ朋子】
古墳の中にはなにがある?
埴輪や石棺、さまざまな副葬品が眠っていました。
【イラスト:カタオカ朋子】
埴輪
粘土製の焼き物。円筒形埴輪、船や人、動物型などさまざまな形があります。起源についてははっきりしていませんが、人の埴輪は当時のライフスタイルやファッションを知るヒントになりました。
【写真提供:京丹後市教育委員会】丹後円筒形埴輪
【写真提供:京丹後市教育委員会】丹後型円筒埴輪の頂部。龍が線刻されている
謎の穴あき埴輪発見!-丹後ならではポイント①-
丹後地方には特有の形をした「丹後型円筒埴輪」があります。頂部に丸い穴が開いているのが特徴。
棺(ひつぎ)
埋葬施設である石室の中に置かれている棺の大部分は木棺でしたが、一部の有力者は石で作られた石棺に葬られました。
丹後にも有力な大王がいた!?-丹後ならではポイント②-
古墳時代中期になると大王クラスの有力な首長については、「王者の棺」(5C代の巨大古墳に使用)といわれる、大仙古墳の石棺と同じタイプの「長持形石棺」を使用。5Cの丹後でも5基の古墳から出土しています。
【写真提供:京丹後市教育委員会】産土山古墳・離湖古墳の長持形石棺
副葬品
石室や棺の中に亡くなった人と一緒に収められました。銅鏡、装身具、武具、農具、土器類など。
・銅鏡
なかでも銅鏡は超有力者のステイタス!繊細で美しくデザインが多彩です。銅鏡を棺に入れる習慣は日本独自のスタイルで、古墳時代全般で副葬されています。
【写真提供:京丹後市教育委員会】大田南5号墳出土方格規矩四神鏡
日本最古かも!?と話題になった銅鏡-丹後ならではポイント③-
丹後では古墳時代前期前半に出土した銅鏡に「青龍3年(西暦235年)」という文字が刻印。鏡に刻まれた年号が日本最古のものと話題になりました。
・装身具
装身具とは簡単にいうとアクセサリーのこと。
丹後では弥生時代中期~後半のガラスのネックレスやブレスレットが出土。ほとんどが青色だったそうです。
【写真提供:京丹後市教育委員会】左坂墳墓群出土ガラス玉(佐藤右文撮影、奈良県立橿原考古学研究所提供)
古代人も丹後ブルーに酔いしれた!?-丹後ならではポイント④-
古代人は青色が好きだった!丹後の海とリンクする~♪
いざ、丹後王国の王墓へ!古墳ベスト3
京丹後市内には現地見学のできる遺跡・古墳は15か所ほどあり、なかでも国指定史跡の3スポットは見学必至。
スポット①
弥生時代に造築された日本最大の王墓
赤坂今井墳墓
【写真提供:京丹後市教育委員会】赤坂今井墳墓
弥生時代末期(3C前半)に国内最大級を誇った墳墓。南北39m、東西36m、高さ3.5m。2番目の大きさの墓穴に埋葬された木棺から垂飾というイヤリングのようなものや、ターバンのような布にグリーンやブルー系のガラス玉の装飾が施された頭飾りが出土。被葬者は女性と推定され、丹後の王が埋葬された王墓ということがわかり、さらに邪馬台国の建国以前に地方国家が成立していたことを知る手がかりになります。
【写真提供:京丹後市教育委員会】 頭飾りを土ごと切り取ったもの。「丹後古代の里資料館」で展示
【写真提供:京丹後市教育委員会】 上の写真の出土品を復元したもの。「丹後古代の里資料館」で展示
赤坂今井墳墓
問い合わせ:0772-69-0640(京丹後市教育委員会文化財保護課)
アクセス
自動車:山陰近畿自動車道「京丹後大宮」ICから車で約20分
公共機関:京都丹後鉄道「峰山駅」下車、乗り換え、丹後海陸交通バス停「石丸」から徒歩5分
スポット②
古墳時代、日本海地方NO.1の規模
網野銚子山古墳
【写真提供:京丹後市教育委員会】網野銚子山古墳空撮その1、海が見えるパターン
【写真提供:京丹後市教育委員会】網野銚子山古墳空撮その2、全景が見えるパターン
網野銚子山古墳は、日本海地方最大の前方後円墳で全長198m。古墳には遊歩道があり、後円部頂上まで登ることができます。今はのどかな畑と住宅地に挟まれた一角にありますが、かつては、古墳のすぐ下は潟湖(せきこ)になっていたそうで、古墳の規模もさることながら、その抜群に美しいロケーションも権力の象徴なんですね。
【資料提供:京丹後市教育員会、「丹後古代の資料館展示ガイド『丹後王国の世界』網野銚子山古墳の築造推定図(早川和子氏 画)」より】
【イラスト:カタオカ朋子】前編より、タニワノミチヌシ王とヒバスヒメたち。ダチョウ倶楽部のギャグ風にイラストを描いてもらいました
さらにこの古墳のおもしろいところ、それは、垂仁天皇の皇后・ヒバスヒメが埋葬された大和(現在の奈良)の佐紀陵山古墳(全長約210m)とぴったり相似形なんです!中央集権があった大和や河内の国の古墳をモデルにして築造したそうで、ヤマト政権と密接だった地方の前方後円墳にみられる特徴のひとつです。そのため、網野銚子山古墳は、ヒバスヒメの弟のミカドワケ王のものではないかと推定されています。
網野銚子山古墳
問い合わせ:0772-69-0640(京丹後市教育委員会文化財保護課)
アクセス
自動車:山陰近畿自動車道「京丹後大宮」ICから車で約30分
公共機関:京都丹後鉄道「網野駅」から徒歩20分
スポット③
丹後王国の終焉を告げる古墳
神明山古墳
【写真提供:京丹後市観光協会】見晴らしがよい神明山古墳の頂
神明山古墳は全長190m、網野銚子山古墳に引けをとらない規模を誇ります。今は大きな山のようにしか見えませんが、かつてこの墳丘の斜面には整然と白い葺石が積まれ、幾千にも及ぶ埴輪が並べられていたことを想像すると壮観な姿が目に浮かびます。また後円部頂上からは潟湖(=古代の港)の痕跡や、日本海が眺望できます。さらに、古代の海岸線と平行に築造されていることもわかっていて、海から港の位置を把握するランドマーク的存在でした。
【資料提供:京丹後市教育員会、「丹後古代の資料館展示ガイド『丹後王国の世界』築造当時の神明山古墳と竹野湖の推定図(早川和子氏 画)より】
神明山古墳
問い合わせ:0772-69-0640(京丹後市教育委員会文化財保護課)
アクセス
自動車:山陰近畿自動車道 京丹後大宮ICから車で30~40分
公共機関:京都丹後鉄道「峰山駅」または「網野駅」下車、乗り換え、丹海バス停「丹後庁舎前」から徒歩10分または「てんきてんき村」から徒歩15分
【ここもお立ち寄り!!】丹後古代の里資料館
古墳巡りはここからスタート!資料館でお勉強をしてから現場へ行くと感動もひとしお!!
【写真提供:京丹後市教育委員会】丹後古代の里資料館。金色の鴟尾(しび)が輝く
京丹後市内から発掘された考古資料および美術工芸品を収蔵・展示。メインは「丹後王国」をキーワードとし、その誕生から終焉までを古代資料から辿ることができる常設展示。また野外展示として復元した弥生時代の集落も。歴史ロマンを刺激される貴重な遺物に出合うことができます。
丹後古代の里資料館
所在地:京都府京丹後市丹後町宮108
TEL:0772-75-2431
時間:9:30~16:00
休館日:毎週火曜日(火曜が祝日の場合は翌水曜日)、年末年始
HP:http://www.city.kyotango.lg.jp/museum/kodainosato/
アクセス
自動車:山陰近畿自動車道「京丹後大宮」ICから車で約30~40分
公共機関:京都丹後鉄道「峰山駅」または「網野駅」下車、乗り換え、丹後海陸交通バス停「丹後庁舎前」から徒歩10分または「てんきてんき村」から徒歩5分
次回、後編は古代人のグルメをお届けします。お楽しみに~!
坂本美映
古墳の魅力にとりつかれそうな私です。古代といっても平安時代の記事を書くことはありますが、なかなか巡ってこなかった、弥生や古墳時代の仕事。古墳ネタがこんなにも楽しいとは、自分でも驚きです。丹後王国アリガトウ!