地産地消の極みともいえる日本酒。
世界に誇る食文化の一つである日本酒。
取材で訪れたのは2月。ちょうど新酒のできる時期で、蔵にはお酒のいい香りが立ちこめていました。
日本酒造りの職人・杜氏というと、もっぱら年配男性のイメージですが
その男性の世界ともいえる杜氏の世界に、若くして飛び込んだ女性が居ます。
亀岡の老舗酒造会社「丹山酒造」の次女・長谷川渚さん。
酒造会社の娘として生まれたとはいえ、未だ男性がほとんどの杜氏の世界へ足を踏み入れた理由とは?
女性杜氏の先駆けといえる長谷川渚さんに、そのいきさつ、そして日本酒への想いをうかがいました。
小さい頃から酒蔵は遊び場
ーー杜氏になったいきさつは?
高校までは地元の学校に行っていて、本格的にお酒の世界に入ったのは高校を卒業してからです。元々は杜氏になるつもりはなくて、ただ酒屋を継ぐという形で、姉とは話していたんですね。それが、進路を決める折に、営業と製造の別々に入ろうという話になりまして。姉は社交的で外に出ることが好きなんですけど、私は外回りが苦手だったので、私が製造の方に入ることにしたんです。
お酒の世界に入るにあたって、東京農大でお酒の発酵学を研究している小泉先生に相談に行ったんですね。そしたら、滋賀の自分の研究室に来るか、農大の短大にくるか、農大の四年制にくるか考えてと言われまして。当時は最短で職人になりたいと思っていたので、大学には行かずに、滋賀の研究室に行かせてもらうことにしたんです。一年半ほど研究室で勉強させてもらって帰ってきた感じです。
ーー女性杜氏のさきがけですが不安などはなかったですか?
昔から、この環境で育ってきたので、杜氏という製造の世界に入ることは特別なことではなかったですね。昔から出稼ぎという形で、10人とか15人のおじさんたちが来られて半年寝泊まりされて、春になったら帰られるっていうパターンの中で育ったので。小さい時から蔵は遊び場でしたね。「杜氏になるなら、じゃあ、教えてあげるよ」って感じでした。女性やから入ったらアカンとか、そんなことも一切なくて、一から教えてもらうって感じで杜氏の世界に入りましたね。
ーー女人禁制という世界ではないんですか?
今でも、女性は入るな!っていう蔵もあります。酒造りは女性の神さんやから、女性は入ったらアカンとか。女性はお化粧や香水、マニキュアをするので、その匂いがお酒にうつったらアカンから、女性は入ったらアカンとか。でも、うちはそういう厳しいことは全然ないので。今後も、もし杜氏になりたいっていう女性がいらっしゃれば、うちは大歓迎です。
杜氏の高齢化。技術を受け継ぐ若手育成の時代
ーー一人前の杜氏にはどれくらいでなれるんですか?
10年です。10年間は見習い期間です。私は10年見習いをして、5年間杜氏としてやらせてもらいました。今は姉が結婚して地方に出ているので、営業販売といった経営の方にうつった形になります。
ーーどういう経緯で杜氏になられる方が多いのでしょう?
お酒好きで、美味しいお酒が飲みたい!だったら自分で美味しいお酒を造ろう!と杜氏を志す方もいらっしゃるとは思います。でも、最近は蔵の息子さんや娘さんが杜氏になられるパターンが増えてきていますね。後を継いだ時に経営だけではなくて、製造の勉強もして、蔵の仕事をするという風に変わってきているように思います。
ーーそれはどういったことが理由だと思われますか?
酒造りにこだわりがあって、という方もいらっしゃると思います。あとは、出稼ぎ制度が時代とともになくなってきている中で、杜氏さんが高齢化してきているというのも要因かと思います。私が最初に教えて貰った方は岩手の方だったんですけどね。「80やし疲れた〜」言うて引退しはりました。そういう世界なんですよね。今年から来てもらっている方は60歳なんですけど、60でも若手なんです。だから、「いずれは自分たちでできるようにならないといけない!」という想いもあって、私も自ら蔵に入ったんです。自分たちでもある程度できるように技術を教えておいてもらう、という感じに変わってきてますね。
新酒時期の蔵の香りが大好き。「美味しいね」の声が楽しみ
ーーお酒の好きなところや、酒造りをしていて嬉しかったことは?
ちょうど今の時期は新酒がどんどんできてくる時期なので、蔵の中はとてもいい香りがするんです。子どもの頃から、この時期のお酒の香りが好きでしたね。だいたい11月から3月いっぱいくらいなんですね。香りがするのは。夏場とかは出来上がったお酒をタンクに入れて瓶詰め作業だけになるので、香りがするのは今だけなんですよ。この時期の蔵の中の香りは好きですね。
嬉しかったのは、自分の名前をつけたお酒を造れたことですね。蔵に戻ってきて、酒造りをし始めた時に、東京農大の小泉先生がせっかく蔵に入るなら、自分の名前をつけたお酒を造るといいよっておっしゃってくださったんです。比叡山の酒井大阿闍梨さんにラベルの字を書いてくださって、「渚」という自分の名前のついた商品ができあがったんです。その時は嬉しかったですね〜。
ーー販売営業といった経営よりも酒造りの方が楽しい?
酒造りも経営もどちらも楽しいですね。小さい時から、どちらの世界も見てきているので。お酒って造り出すとどんどん出来上がってくるので、物凄い達成感が得られるんですね。春になって新酒の香りがしてきて、「美味しい」って言われたら嬉しいですし。
販売していても、商品をご紹介していく中でお客様の声を直に聞いて、「今年のいいね〜」とか「美味しいね〜」って言ってもらうと嬉しいですし。どちらも楽しくやらせてもらってます。今年も評判がよくて。そういう意味でどちらも楽しいですし、毎年楽しみですね。
終わってみれば苦労も苦労でなくなる
ーーでは、辛かったことは?
蔵に入りだした頃は、あんまり外に出なくなっちゃったんですね。杜氏の仕事は1年分のお酒を半年間お休み無しで造るんです。早朝に作業をして、また夕方に作業・・・。やっぱり夜遊びに行くと翌日がしんどくなるんですよね。19、20歳くらいで、遊びに行きたい気持ちもある中で行けなかったので。最初の半年は、その生活に慣れなくて。その時が一番しんどかったですかね。
販売営業の場合は、女性目線で、いろいろと他社さんとは違う商品を出すと「日本酒が軽く見られる」とか言われたこともあって、しんどいなと思ったりもしました。でも、それも何年かすると、そういうのにも慣れますし(笑)。逆に「負けへん!」っていう風にお商売させてもらえるようになったので。それはそれでいい経験だったと思ってます。現に、低アルコール酒や微発砲酒が流行ってきて
そういう時代がやってきたので「うちは間違ってなかった」って感じになりましたし。結構精神面でも強くなったと思います(笑)。色々あったとしても、終わってみれば苦労も苦労って思ってないのかもしれないですね。
女性目線の商品開発。その斬新さに人気爆発
ーー女性目線の商品開発においても先駆けなんですね?
ちょうど京都の伊勢丹さんが出来て20年目になると思うんですけど。そのオープン当時に出したのが、ピンクのボトルの「飯櫃(ぼんき)」とか、ワイン系のボトルの「Japon」になります。当時はまだ日本酒といえば茶色の一升瓶しかなかった時代だったんですよね。
京都に伊勢丹がオープンして半年くらいにお声をかけてもらって販売に行きだして。その時に、こんなお話をしたんです。「味には自信があるものの、京都には酒屋さんも多いし、ただ並べてるだけではいけない。どうやったらお客様の目がとまるのか?」それがきっかけで、こういうボトルを採用し始めたんです。今はほんとにいろんなボトルが出てますけど、当時はほんとに一升瓶の時代だったので。
すごく斬新だったと思います。当時は赤ワインブームでもあったんですよね。「みんなワイン、ワイン」って言わはるから、じゃあ、こういうボトルで出そうかって。「日本酒のイメージじゃないもの」っていう発想からスタートしました。ラベルも当時のままで変えてないんですけど、今でも通用するなって思ってます。
ーーボトルの形状やラベル以外にも女性視点が活かされていますか?
自分自身が二十代の頃、二十代の方に楽しんでいただける日本酒がつくりたいなっていう想いがあって。女性や若い方でも気軽に飲める、低アルコール酒とか微発砲酒を造ったりしましたね。「飯櫃」や「Japon」もそうですね。
ライスパワーネットワークという団体に所属しているんですけどね。そこでお米の力を使って、いろんなお酒を造ろうっていう勉強会をしてくださるんです。ワインは飲めるけど、日本酒は飲めないとか、リキュールは飲めるけど、日本酒は飲めないっていう方でも楽しめる日本酒で、「ワインのような梅酒のような日本酒」の作り方を教えてもらったんです。その勉強会で教えて貰ったノウハウを活かして新商品を造りました。それもすごい人気が出ましたね。
近くの蔵同士だと、ある意味ライバルになるので勉強会って一切ないんですよ。でも、ライスパワーネットワークのようなものだと
県外や地方になって、販売拠点も違うので、すごく皆さん仲が良いんです。「うちはこんなことやってるよー」「こういう風にしたらいいよー」って色々アイデアを教えてくださるんです。そういった繋がりも有り難いですね。
人との繋がり、ご縁で販路拡大
ーー新商品開発、人気商品の裏には様々な「繋がり」があったわけですね?
ずっとこの亀岡の地元でやってきた小さい酒屋が、京都に伊勢丹ができて、京都駅に出て行って、そこでやってたら今度は物産展を紹介してもらって、全国各地に行かせてもらうようになったんです。そしたら、輸出の話も来て、今では、ほんの少しなんですけど、シンガポールと香港にも輸出させてもらってます。昔、横浜でお世話になったお酒売り場の方がシンガポールに出向されて、とんとん拍子に話が進んで・・・。ほんとに「ご縁」でやってきてますね。
あと、京都ってお祭りが多いじゃないですか。そういうところで使っていただけるところを増やしていってるんですね。祇園祭の大船鉾が復活したのが三年前なんですけど、うちのお酒を使ってくださるってお声をかけてくださって、鉾にお酒を並べてもらえるようになりました。下鴨神社さんでもお神酒のお酒を使っていただいてるので、その関係で、週末とかお祭りの時はお店を出させてもらってますし、京都御所さんにもお酒を納めさせてもらってるんです。全て人からのご紹介で入らせてもらっているので、ほんとに有難いですね。
海外展開、新たなお酒、酒粕商品・・・ワクワクが止まらない
ーー今後の展開は?
今、和食が世界的にも注目されているのも有難いんですよね。和食が海外で注目される=日本酒も注目されるので。今、錦市場と京都文化博物館にお店を出させてもらってるんですけど、ほとんどが海外のお客様ですしね。なので、海外にも力を入れていこうかと思っています。
新しいお酒もどんどん作っていきたいです。今なら甘酒とかも注目されてますよね。非常に身体にいいとされていますし、アルコールは入っていなくても関心はありますね。あとは、若い世代が「アルコール離れ」といわれている中で、提案できる低アルコール酒も造りたいです。もちろん、今まで日本酒業界がずーっと造り続けてきた昔ながらの伝統あるお酒も造っていきたいですし、そこは幅広くやっていきたいと思ってます。昔ながらのお酒だけをやるんだ〜っていうと先細りになっていくと思いますし、そこは臨機応変にしていきたいです。
日本酒に限らず、酒粕を使ったアイテムなども考えています。血液がサラサラになるとか、コレステロールを下げるとか、酒粕が身体にいいということをメディアがやってくれているので。酒粕を使った商品も提案していけたらいいなと思ってます。
健康、美容・・・お米の可能性は無限大
ーー健康や美容に関する商品も展開していくんですね?
麹がお肌にいいって言われているんですけど、確かに、麹を素手で触られている杜氏さんは血行がいいように思います。酒粕入りの石鹸は既に販売しています。私も使ってるんですよ(笑)。
酒造りの工程の中で、冬場に出る板粕をガーゼに包んでお風呂でマッサージするとすごく潤うので、すごくオススメです。関西やったら粕汁に使うと思うんですけど、お料理以外にも使えるんですよ。酒粕っていっぺんに使い切れなくて残っちゃうじゃないですか。皆さんそこで困らはるんですよね。お風呂に入った時に、酒粕でお肌を磨くだけですから簡単ですよ。今はまだ商品としては洗顔石鹸だけですけど、それ以外にも良さそうなものがあればやっていきたいんですよね。
自分が使いたいとか、社員の皆さんとも話しながら自分たちが欲しいものを商品化したらお客様にも受け容れられるのかなって思ってます。
ーーお酒はもちろん、コスメと、お米の可能性は無限ですね?
そうですね。4月ごろには、お米の可能性を追求した新たな商品も発売する予定です。まだ今は詳しいことはお話できないんですが、楽しみにしておいてください。あと、お米に関しては、「メイドインキョウト」という農業の会社を作って、丹山酒造のスタッフが有機米を作っています。今はまだ借りられる田んぼが限られているので、特定名称酒の大吟醸だけ、そこで作ったお米を使って造っているんですが、最終目標は全てのお酒のお米を自家栽培したいなと。自分たちでお米を作って、地元の水で地酒として出すのが本来の姿なのかなって。今はそれに向かってやっているところです。
ーー今後の展開に向け、どういう想いを大切にしていますか?
経営面を担当している母にも常に言われていることなんですけど、「新しいものを」という想いを絶やしてしもたらアカンと思ってます。営業などで外に出る機会も多いんですけど、外に出たらお酒以外のもの、流行りのものを絶対に見なアカンって言われてるんですよ。外に出ていくことはどんどんしていかないといけないって思ってます。そうでないとアイデアって湧かないですし。
京都って祇園祭りってすごい盛り上がるじゃないですか。でも、そんな時でも祇園祭りの「ぎ」の字も出ないくらい亀岡ってすっごい静かなんです(笑)。ギャップがすごいんです。だから、出て行って今の世の中の現状を見ないと置いていかれるなって思うんです。
出ないと知らない世界で終わってるっていう怖さ(笑)。あんなにも華やかな世界があるのに知らないっていう。「外に出て、新しい商品を考え続ける」。この想いを大切にしていきたいと思っています。
長谷川 渚
1978年京都府亀岡市生まれ。丹山酒造5代目当主。
高校卒業後、東京農業大学小泉研究室にて発酵学を学ぶ。その後、丹山酒造を継ぎ、酒造りの世界へ。杜氏修行で10年。杜氏として5年を経て、現在は経営サイドに。
丹山酒造有限会社
住所:京都府亀岡市横町7
電話:0771-22-0066
営業時間:9:00~18:00(酒造見学8:30~17:00 ※要予約)
定休日:無休
http://www.tanzan.co.jp