トップ観る > 1泊2日で行く。祝!日本遺産「丹後ちりめん回廊」の旅②

1泊2日で行く。祝!日本遺産「丹後ちりめん回廊」の旅②

f:id:kyotoside_writer:20170627001359j:plain1日目の後半は宮津市へ移動。宮津はかつて大きなお城があり城下町として栄えた町。また丹後ちりめんの景気に加え、北前船の寄港地となったことから、丹後ちりめん関係の人や北前船の船員さん達がたくさん訪れ、大変な賑わいだったのだとか。町には京都市につぐ最大の花街があり、芸者さんもたくさんいたんですって。城下町の面影が残る町並みや、北前船の廻船問屋やちりめん商人が泊まった宿、かつての花街の風情を探して歩いてみましょう。(1日目の前半の記事はこちら

1日目後半のルート

f:id:kyotoside_writer:20170627003915j:plain

f:id:kyotoside_writer:20170627001459j:plain与謝野からバスと京都丹後鉄道で約1時間(宮津駅から旧三上家住宅までは徒歩13分)
車で約30分(駅前に市営駐車場あり)

 

北前船で繁栄した港町を歩く

f:id:kyotoside_writer:20170627001550j:plainまずは港に向かって左側は扇形に広がる河原地区へ。この辺りは古い家々が建ち並ぶ風情ある町並みがステキなエリア。

 

f:id:kyotoside_writer:20170627001714j:plainその一角で白壁の立派なお屋敷を発見!お城のように真っ白~。こちらは江戸時代に糸問屋を営み、その後、廻船業、酒造業を営んだ豪商「元結屋(もっといや)三上家」の旧住宅なんだそうです。真っ白なのは、漆喰を塗りこめているから。海風があるので一度、火事になると火の勢いが強くなりがちな港町。壁が白いのは防火の目的なんだそうですよ。また、町家というと間口が狭く奥行きが深い「鰻の寝床」といわれる建物が多いですが、三上家は表通り沿いに幅広い敷地を持っていることも特徴です。中は見学できるので入ってみましょう。
旧三上家住宅 http://www.amanohashidate.jp/mikamike/

 

f:id:kyotoside_writer:20170627001408j:plain①廻船業を営んだ後、昭和50年まで「都小町」「大天橋」という銘柄のお酒を製造販売していた三上家。当時の看板が残されていました。②玄関からニワを通り座敷へ。右側に酒造りの釜場や酒蔵があり、道具が展示されています。③酒造りの道具を展示。④各部屋にある釘隠しのデザインがステキ。桃や笹などいろいろなデザインがあるので要チェックですよ。

 

f:id:kyotoside_writer:20170627001410j:plain①京都府指定名勝に指定されている庭。②ライオン石。ライオンが口を開けてる~! ③「みかちゃん」「かんちゃん」と名前が付けられた2匹をはじめ、沢山の亀ちゃんがたくさんいます④贅を尽くしたお座敷。欄間には鯉が彫ってあって、こちらもみどころ。お座敷に座ってゆっくり庭を眺めましょう。

f:id:kyotoside_writer:20170627001934j:plain旧三上家の角を曲がったところに立つこれまた立派な建物は袋屋醤油店。長い建物! 通りから通りまでずっと続いていますよ。こちらは江戸時代から300年以上も醤油を作っている老舗店。現在も「あしぎぬ」という銘柄の醤油を販売。スーパーなどでも売られていました。

f:id:kyotoside_writer:20170627002048j:plainそこから大通りの西堀川通を渡ったところに立つのが、茶六本館。こちらのお宿の創業も古く、1716年。三上家ができる50年ほど前のこと。1716年というと暴れん坊将軍こと徳川吉宗が徳川8代将軍になった年ですよ!そんな年に創業したんですね~。
この3階建ての建物は明治~昭和にかけて増改築を繰り返したもの。ちりめん商人も多く宿泊したそうです。今も宿泊できます。

f:id:kyotoside_writer:20170627002610j:plain茶六本館から万町通を曲がると見えるのが今林家住宅。白壁に格子が美しい町家です。こちらは江戸から明治時代、糸問屋・ちりめん問屋を主に北前船による回船業や倉庫業など沢山の事業を営んでいたそうで、旧三上家住宅とならんで宮津の城下町を代表する町家建築のひとつ。この辺りは、本当に立派な家が多いですねぇ。

花街の名残を求めて―新浜の町家

f:id:kyotoside_writer:20170627001413j:plainそこから大道通を曲がると、町の雰囲気が変わってきました。ちょっぴり色っぽい雰囲気。飲み屋さんに加え、商店が並んでいて、ノスタルジックな雰囲気。

 

f:id:kyotoside_writer:20170627001416j:plainここは新浜通。丹後ちりめんで栄え、北前船の寄港地として発展した宮津には大きな花街があったそうで、この通りにはその名残が残っています。この花街の規模はとても大きく、京都祇園の花街に次ぐ格式だったのだとか。芸者さんも沢山いたそうですよ。そういえば民謡の宮津節でも、この花街のことを「二度と行こまい丹後の宮津、縞の財布がからになる♪」と、歌っています。①②④所々、そんな花街の名残をみせる家が残っています。③町々を紹介する看板。

 

f:id:kyotoside_writer:20170627001417j:plain風情ある路地を発見! 路地の中ほど、右上の赤い提灯が下がっている建物は「ぴんと館」。1階は飲食店、2階は町の人が伝統芸能を継承する場として利用できるようになっているのだとか。

f:id:kyotoside_writer:20170627001419j:plain町家だけでなく、レトロな洋館の病院や大正15年創業の老舗レストラン、木造の教会もありました。なんだかおもしろい町だな~。

文化人たちが訪れたアカデミックなお宿

f:id:kyotoside_writer:20170627003032j:plain今日のお宿はこちら。江戸時代、1600年代末に創業した旅館・清輝楼です。丹後ちりめんで栄えた宮津城下町を訪れた多くの文人墨客に愛され、館内には江戸時代の京都の様々な絵師達や明治以降の菊池寛、吉川英治など多くの作家・詩人達が訪れ、貴重な作品が残されています。それらは「小さなちいさな美術館」と銘打たれ、宿泊や食事をすると見学することができます。最近では若い宿泊者や欧米からの観光客も沢山、宿泊されているのだとか。というわけで、館内をご主人に案内していただきました!

 

f:id:kyotoside_writer:20170627003111j:plainまずは3階の大広間へ。60畳の大広間は隣の広間とつなげると105畳にもなる大きさで、まるで御殿のよう!

 

f:id:kyotoside_writer:20170627001422j:plain細部を細かく拝見。①幕末から明治にかけて活躍した画家・鈴木百年が1年の四季の変化を描いた12枚の襖絵。鈴木百年の絵をこれだけ一堂に見られるなんて貴重なのだとか。②宮城県仙台にある輪王寺の無外和尚の書。和尚は書の大家で、日本三景(松島・宮島・天橋立)の各旅館が一軒ずつ選ばれ書が残されています。③④床の間に置かれていたお弁当箱と火鉢。なんと宮津藩主の家で使われていたものなのだそう。⑤天井は格天井(ごうてんじょう)。中でも周囲がカーブしているのは、さらに格が高く、折上格天井というのだそうです。⑥欄間の細工も繊細!⑦立派な襖引手。

f:id:kyotoside_writer:20170627001424j:plainさて、2階の回廊へ移動。①回廊はギャラリーに。上に展示してあるのは全長9m10㎝もあるのだとか。丹後半島の先端から先日ご紹介した伊根町、天橋立付近までを船の上から見て描いた『与謝江海図』。②玄関に飾られていた100年も経つ柱時計。ボーン、ボーンと良い音がしていましたよ。③1階奥にある「文人の間」には明治以降に宿泊された文人たちの書画を展示しています。童謡『十五夜お月さん』などを作曲した野口雨情さんの本。④『三国志』などで有名な小説家・吉川英治さんの書。⑤総理大臣も務めた吉田茂さんの書。⑥野口雨情さんの書画。⑦「文人の間」。
与謝野の方は、お昼を食べるところが少ないので、早めに宮津に移動して、こちらでお昼を食べるのもいいかも。

清輝楼 http://www.seikirou.co.jp/index.htm

 

次回、1泊2日で行く 祝!日本遺産「丹後ちりめん回廊」の旅③へと続きます!
どうぞお楽しみに!! 

同じカテゴリの記事

【2023】京都府内の知って欲しい桜の“絶景”スポット

【2023】京都府の夜桜ライトアップ〜幽玄な春の宴への誘い〜

【京都歴史探訪】紫式部ゆかりの地を訪ねて

石清水八幡宮を徹底解説!まるで竜宮城のような極彩色の美しき国宝

公式アカウントをチェック!

ページトップアイコン