いよいよ、明智光秀が主人公の大河ドラマの放送開始が目前に迫ってきましたよ!
KYOTOSIDEではこれまで光秀に関する記事をいろいろと制作してきましたが、このタイミングでしっかりとおさらいをしておきましょう。光秀ゆかりの地めぐりにもぜひご活用くださいね。
謎多き戦国武将・明智光秀ってどんな人?
テレビの歴史番組でもご活躍中の、国際日本文化研究センター准教授の磯田道史先生にどんな人物だったのかおうかがいしました。
ズバ抜けた野心・頭脳をもつイケメン武将
ズバ抜けた野心、家族みんなイケメン&美女、超絶な記憶力。この3つが揃って何でもできるという強い自己肯定感があった人だと思います。さらに、超合理的主義者。自分にだけ滅私奉公をしてくれる光秀を信長は大変気に入っていたようですね。
「本能寺の変」で魔王と呼ばれた信長を倒す
私は「なぜ、光秀は信長を簡単に殺せると思ったのか」、この点が大事な気がします。
信長は本能寺に泊まる前、京都にくると必ずといっていいほど光秀の屋敷に泊まっていたことから、行動パターンを知っていました。信長は在京中、非常に無防備で、光秀の懐の中に入ってきてスヤスヤと眠っていたわけです。
ですから、光秀は、信長に追い詰められ将来に不安をおぼえた時、「京都でなら殺せる」と思ったはずです。光秀に「できる」と思わせてしまったのも、信長の失敗の一つだと思います。
▶磯田先生の全インタビュー記事はこちら
光秀の家族や親戚ってどんな人たち?
光秀の娘は絶世の美女 現代もご当地キャラとして大活躍
玉は戦国武将・明智光秀の三女として生まれ、16歳の時に勝龍寺城の城主である細川藤孝の嫡男・忠興に嫁ぎます。時代のうねりに翻弄される人生でしたが、幸福な新婚時代を過ごしたのが長岡京の勝龍寺城。
長岡京市では毎年11月の第2日曜には玉と忠興の輿入れ行列を再現した「長岡京・ガラシャ祭」が開催され、マスコットキャラクターが「お玉ちゃん」なんです。
▶ご当地キャラ、まゆまろとお玉ちゃんについての記事はこちら
細川元総理のご先祖様 細川藤孝(幽斎)
京都府にとって明智・細川の2家は非常に縁の深い家です。両家とも、福知山や亀岡、長岡京など、京都府内の都市を拓いたゆかりの家です。
光秀と藤孝は信長に仕える超優秀な家臣で、苦楽を共にした同僚。信長が光秀の娘・明智玉と幽斎の息子・忠興を結婚させたともいわれ、親戚関係にもありました。
藤孝が丹後の領主になってからわずか2年後、光秀が主君・信長を討つ「本能寺の変」の知らせをうけます。
信長に対する追悼の意味を示すために髪を下ろして、幽斎玄旨(ゆうさいげんし)と名乗り、家督を息子・忠興に譲り、舞鶴の田辺城にて隠居します。
光秀と秀吉が激突した“天下分け目の合戦”こと山崎合戦では、幽斎は信長父子の喪に服するという意味で、光秀には見方せず、中立の立場として丹後から動きませんでした。
▶細川家と田辺城についての記事はこちら
京都府の光秀ゆかりの地ってどんなとこがあるの?
光秀が初代城主を務めたお城@福知山城
福知山城は光秀が織田信長の命を受けて丹波を平定した際、西国攻略の拠点として天正7年(1579)頃、築かれたお城。明治時代に廃城、昭和61年に天守閣が復元されました。
心配りのできる男・光秀のエピソードが残る石垣
天守閣の石垣は当時のもの。転用石といって五輪塔や宝篋印塔(ほうきょういんとう)が石垣の一部に使われており、信長が関わる城に共通するもの。諸説ありますが、旧勢力の象徴である寺院から石を集めていれることで支配を示そうとしたのだとか。
光秀は石を集めるだけでなく、寺院に代用石を配ったとも伝えられおり、上司の命は守りつつ、新たな統治者としての心配りも忘れないなんて、さすが光秀ですね。
イケメン光秀のアニメキャラ自販機
光秀と思しき武将の声が響くおもしろ自動販売機。お金を入れると「時は今、明智光秀ここに見参!」「敵は本能寺にあり!」「のぶながぁ!」などとシチュエーションによって色んなセリフが飛ぶ仕掛けが。
▶光秀ゆかりの福知山城周辺のお散歩記事はこちら
光秀最後の戦いは「山崎の合戦」@天王山
本能寺の変のあと、天王山を擁する大山崎町で、秀吉VS光秀の「山崎の合戦」が繰り広げられました。その際、「敵の動きを把握できる重要な場所」として天王山の陣取り合戦が行われたといいます。
山崎の合戦では光秀軍約1万6,000人VS秀吉軍約4万人と兵力の大差で大敗。光秀はすぐ近くの勝龍寺城に逃げ込み、その後本拠の近江坂本城を目指して落ち延びようとしますが、山科の竹藪で落ち武者狩りに刺され、その後自刃します。
▶山崎の合戦についての記事はこちら
光秀の願いにより自身の首を葬った寺@谷性寺
丹波平定の拠点として「亀山城」を築いた光秀の首塚が亀岡の谷性寺にあります。別名「桔梗寺」「光秀寺」ともよばれ現在は、桔梗の名所としても知られています。
本能寺で信長を攻め、山﨑の合戦で秀吉に敗れた光秀は滋賀県坂本城へ退却する途中、伏見の小栗栖(おぐりす)で農民に襲われ自刃、家臣が介錯します。
その首を光秀が信仰していた谷性寺に埋めるように命じたそうです。後に近臣が首を掘り出し谷性寺に手厚く葬ったと伝わっています。
▶光秀と谷性寺についての記事はこちら
光秀ゆかりの地・京都にはどんなお土産があるの?
京都府内さまざまな光秀にまつわるスイーツやグッズが目白押し。例えば、戦国×カワイイがコンセプトの明智茶屋では、光秀が愛した丹波の卵を使った「光秀の愛したプリン」や、桔梗紋を焼き印し、卵をたっぷり使った「桔梗ロール」など光秀にちなんだスイーツがのった「光秀プレートセット」が人気です。
▶そのほかの光秀スイーツについての記事はこちら
2020年1月11日亀岡市にOPENの「麒麟がくる 京都大河ドラマ館」のレポート記事も必見です。