皆さんは「丹後七姫」という言葉を聞いたことはありますか? こちらは、京都府北部・丹後地域にゆかりのある7人のお姫さまのことなんです。日本史に出てくる実在の人物だったり、伝説上の人物だったり……活躍した時代も背景もみんなバラバラですが、丹後地域には彼女たちの史実や伝説に基づいた関連スポットがたくさんあります。
ぜひ、丹後七姫に思いを馳せながら、ゆかりの地を巡ってみてください。
イラスト提供:丹後王国ブルワリー
・基本的な感染予防対策(マスクの着用・手洗い・手指消毒など)を徹底してください。
・発熱等の症状(発熱、咳、のどの痛み、息苦しさなどの症状)がある場合は、外出を控えてください。
現世に留まり里を豊かにした羽衣天女
丹後地域に伝わる羽衣天女の伝承は2つあります。
1つは、丹後の国の比治(ひじ)の里に住んでいた若い狩人「三右衛門(さんねも)」が、磯砂山(いさなごさん)へ狩りに出かけると、8人の美しい天女が池で水浴びをしているのを見つけます。三右衛門は天女たちのそばに掛けられている羽衣に見惚れてしまい、1枚を家に持ち帰ってしまいます。自分の羽衣がなくなったことに気づいた天女は、三右衛門の家に行き、返してほしいと頼みますが、返してもらえません。さらに三右衛門は自分の嫁になるように言い、天女は三右衛門の嫁になって3人の娘も授かりました。天女は機織りや米作り、酒造りなどの知識をたくさん持っていたため、比治の里は豊かになります。ところがある日、天女は羽衣の隠し場所を知ってしまい、身に着けたあとは大空へと帰ってしまいました。
ちなみに2つめの伝承は、羽衣を見つけ持ち帰ったのは老夫婦で、天女を嫁ではなく養子に迎えます。天女に酒造りを教えてもらい老夫婦は豊かになりますが、最後は自分たちの子ではないと家から追い出してしまうという、いずれも悲しい結末になっています。
天女が舞い降りた磯砂山
8人の天女が舞い降りたと伝わる「磯砂山(いさなごさん)」。標高661mの山頂には、羽衣天女ゆかりの地としてモニュメントが設置されています。展望台には望遠鏡もあり、大江山や天橋立を見渡すことができますよ。
また、山の中腹には天女が水浴びをしていたとされる「女池」も。山頂までは1010段の階段があるので、景色を楽しみながら登ってみましょう。
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磯砂山
場所:京丹後市峰山町鱒留
京丹後市観光公社HP
天女の娘を祀った乙女神社
さらに、磯砂山のふもとには「乙女神社」があります。ここには天女が授かった娘の一人を祀ったとされていて、お参りすると美しい娘を授かると言われています。境内はこじんまりとしていますが、紅葉の時期にはきれいに色づいた木々で彩られます。
また、道路を挟んで向かい側には交流施設「天女の里」があり、こちらではキャンプや自然体験ができますよ。羽衣天女のゆかりの地を巡る際は、ぜひハイキングやキャンプも楽しんでみてください。
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乙女神社
場所:京丹後市峰山町鱒留
激動の時代を生きた明智光秀の三女・細川ガラシャ
戦国時代の悲劇の姫君として知られる「細川ガラシャ」。明智光秀の三女・玉子として生まれ、後に細川忠興に嫁ぎます。 “ガラシャ”という名前はキリスト教の洗礼名です。(本記事内ではガラシャで統一します。)
忠興との新婚生活は長岡京・勝龍寺城で過ごし、義父・細川藤孝(幽斎)の功績が認められ信長から丹後国を与えられた2人は京都北部の宮津へお引越し。そのまま宮津の地でのんびり過ごせるかと思いきや、父・光秀が本能寺の変を起こしたことにより、ガラシャは宮津から姿を消します。
そして京丹後市の味土野(みどの)へ幽閉され、忠興とは離別。しかし、忠興はなんとかガラシャを救うために奔走し、幽閉が解かれた後は2人で大阪の細川屋敷へ移りました。そして慶長5年(1600)、関ヶ原の合戦で人質となることを拒絶したガラシャは享年38歳、家来の介錯によって自害しました。
宮津城へ祈りを捧げる細川ガラシャ夫人像
天正8年(1580)に宮津へ移った忠興・玉(ガラシャ)夫妻は、宮津城で過ごしていました。古来、都人のあこがれの地であった天橋立に居を構えることは、文化人である細川家にとってかなりのステータスだったのだそう。2年後の天正10年(1582)に本能寺の変が起き、短い期間でしたが夫妻は宮津を離れます。
現在はカトリック宮津教会前の「大手川ふれあい広場」に、宮津城の方を見つめて祈りを捧げる細川ガラシャ夫人像が置かれています。こちらは日本彫刻会を代表する彫刻家・山本眞輔氏が「祈り」をテーマに制作したもので、宮津市のシンボルになっています。
逆賊の娘となり身を隠した味土野
ガラシャが幽閉された味土野(みどの)は、京丹後市にある金剛童子山の山裾にあります。人里離れた厳しい自然の中で、自らの身の危険を感じながら2年近くを過ごしたガラシャ。この時一緒に行動していた侍女・清原マリアの勧めで、ガラシャはキリスト教の洗礼を受けキリスト教に深く帰依します。ガラシャが身を隠していた味土野の女城跡には、細川ガラシャ隠棲地の碑が建っています。京都で過ごした最後の地にぜひ足を運んでみてください。
ガラシャゆかりの地を紹介した記事はこちら↓
謎多き美人歌仙・小野小町
平安時代を代表する六歌仙の1人「小野小町(おののこまち)」。彼女は生没年や出自など不明なものが多く、実在した人物ながら謎が多い存在としても語られています。素顔についても確かなものはありませんが、クレオパトラや楊貴妃と並び世界三大美女に数えられるほどの美人だったと伝わっています。
小野小町が残した歌で有名なのは、『古今集』に記され、百人一首にも選ばれているこの歌ではないでしょうか。
「花の色は移りにけりないたづらに我が身世にふるながめせし間に」
この歌は、美しく咲き誇っていた桜も、美しかった自分も衰えてしまったなぁと、過ぎ行く時間を憂いているものです。この歌から「小町=美人」のイメージがついたのかもしれませんね。
小野小町が晩年を過ごした地
そんな小野小町ゆかりの地は全国各所にあるのですが、そのうちの1つが京丹後市大宮町です。ここは小野小町が晩年を過ごした地と言われていて、彼女は天橋立への旅の途中に大宮町に立ち寄りました。そして再出発しますが、体調を崩し、道を引き返したもののそのまま亡くなってしまいます。
その小野小町にちなんで作られた小町公園の中に「小町の舎(やかた)」があります。こちらでは、小野小町に関わる備品や十二単を着た小町の立像、小町伝説由来記など、小野小町を知ることができるものが展示されています。また、小町に関連したイベントも行われるので、伝説の歌人に興味が湧いた方はぜひ訪ねてみてくださいね。
小町の舎含め、京丹後市が誇る個性派ミュージアムを紹介した記事はこちら
聖徳太子の生母・間人皇后(はしうどこうごう)
冠位十二階や十七条憲法を定めるなどの中央集権国家の体制を整えたことで有名な聖徳太子。彼の生母が「間人皇后(はしうどこうごう)」です。“間人”の読みは京丹後市にある“たいざ”では?と思う方もいるでしょう。この地名に関しては言い伝えが残っていて、かつて蘇我氏と物部氏が争う中、間人皇后はまだ子どもである聖徳太子(厩戸皇子)を連れて、京丹後市に避難していました。
間人皇后は村人の手厚い歓待を受け、土地を離れる際に自分の名である「間人」を送ります。しかし、皇后の名を呼ぶのは畏れ多いと思った村人は皇后の御退座にちなんで「たいざ」という呼び方にしたと伝わっています。
伝説をもとにした間人皇后母子像
そんな京丹後市間人の後ヶ浜(のちがはま)には、日本海を眺めるように間人皇后・聖徳太子の母子像が建てられています。こちらは平成元年(1989年)に建てられたもので、間人皇后像の高さは3.5m、聖徳太子像は1.5mもあるんですよ。
ちなみに間人皇后は愛の女神として敬われ、皇后の側近として仕えた人たちの子孫は現在も間人の地に残っていて、人に仕えたりおもてなしをしたりすることを大事に受け継いでいるのだそう。村人の手厚いおもてなしと、自らの名を贈ることで応えた皇后。人情深い伝説を知った上で像を眺めると、親子の優しいまなざしに心癒されることでしょう。
また、像の奥に見える「立岩」は、高さ20mもある巨大な岩。この岩には、聖徳太子の異母弟である麻呂子(まろこ)親王が3匹の鬼を退治して岩穴に封じ込めたという伝説が残っています。歴史ある母子像と巨大な自然岩が並ぶ光景は圧巻です。
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間人皇后母子像
京丹後市丹後町間人
電話:0772-72-6070(京丹後市観光公社)
時間:見学自由
駐車場:有
京丹後市・愛の聖地を探索した記事はこちら↓
間人皇后母子像含め、京都府内の巨大なものを調べた記事はこちら↓
自らを犠牲に弟を逃がした安寿姫
森鴎外著『山椒太夫』に登場する「安寿姫」。この物語は安寿と厨子王の姉弟が、母と乳母と一緒に父の元へ訪ねる旅の途中に人買いに騙されて、宮津市由良にある山椒太夫の屋敷に売られてしまうお話です。二人は奴隷として扱われ、安寿は汐汲みを、厨子王は柴をさせられます。しかし何とかして父母に会いに行きたい姉弟は、安寿の計画で厨子王を京都へ逃がします。しかし、安寿自身は山椒太夫にひどく責められ、最後は入水してしまいます。
『山椒太夫』は平安時代に成立した説経節『さんせう太夫』を原作とした小説で、ほかにも童話『安寿と厨子王』も『さんせう太夫』を元にしています。作品によって描写が違う箇所もあるので、いくつかの作品を読んでみるのもおすすめです。
安寿が汐を汲んだ汐汲み浜
物語の中で安寿が毎日汐を汲んだ宮津市の由良海岸「汐汲み浜」は、毎年多くの海水浴客が訪れます。この海で、安寿は1日三荷(一荷=天秤棒の両端にかけて一人で肩に担えるだけの量)の海水を汲んでいたと言われています。
汐汲み浜の近くには森鴎外の文学碑が建てられているので、併せて訪ねてみてください。
『山椒太夫』ほか文学作品の舞台になった京都を紹介した記事はこちら↓
安寿と厨子王の像が建つ安寿の里もみじ公園
汐汲み浜、森鷗外文学碑から車で5分ほどのところにある「安寿の里もみじ公園」。こちらには安寿と厨子王の像が建ち、展望台からは由良川と日本海を望むことができます。また、名前の通り公園内にはもみじが植えられていて、秋には美しい紅葉で彩られますよ。
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安寿の里もみじ公園
場所:宮津市石浦
料金:園内無料
白拍子として名を馳せた静御前
京丹後市磯で生まれたとされる「静御前」。彼女の母は磯禅師(いそのぜんじ)で女性白拍子として活躍していました。そして静御前自身も指折りの白拍子として有名になり、その美しい舞を見た源義経に見初められ側室に。
源平合戦後、兄・頼朝と対立した義経は追われ、静御前と義経は生き別れになります。実はこの時、静御前は義経の子を授かっていましたが、誕生した子が男児であったため、海に遺棄されてしまいます。その後、彼女は自分の生まれ故郷に隠れ住んだと伝わっています。
※白拍子……平安時代~鎌倉時代にかけて誕生した歌舞の一種。女性や子どもが舞うことが多く、白の直垂、水干、立烏帽子、白鞘の刀をした男装で歌や舞を披露した。
静御前の出生地といわれている京丹後市網野町磯(いそ)には、静御前を祀る静神社があります。祠の中には土地の人が静のために作ったと言われている木像が祀られています。
また、神社から奥に行くと、踊舞台を模した展望台が設置されています(写真)。日本海を一望できる絶景は、白拍子として名を馳せた静御前にとって、これほど素敵な舞台はありませんね。さらに3分ほど歩いたところには180度海を見渡せる小高い丘に、静御前の生家跡と記念碑も。京丹後の絶景とともに静御前にお参りしてくださいね。
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静神社
場所:網野町磯
料金:境内自由
常世の国・竜宮城に住む乙姫
「乙姫」といえば、浦島太郎が助けた亀とともに行った海の中の竜宮城に住むお姫様、ですよね。乙姫は亀を助けてくれたお礼に歌や踊り、豪華な食事でもてなしますが、故郷が恋しくなった浦島太郎は帰っていきます。そして、別れ際に乙姫は玉手箱を渡しますが、“開けてはいけない”という禁忌を破った浦島太郎は白い煙に包まれてたちまち老人に……。というのが一般的なストーリー。
伊根町に伝わる浦島太郎伝説
実は浦島太郎伝説には諸説あります。伊根町には筒川の側に浦島太郎が住んでいたと伝わっていて、その近くには「浦嶋神社」もあります。『日本書紀』や『万葉集』『丹後國風土記』『浦嶋子伝記』にはこの浦嶋神社が登場し、これらの書物には主人公は浦嶋子という名前で、五色の亀を釣り上げたことをきっかけに竜宮城へ行きます。また、この神社の近くには太郎が通ったと言われる竜穴も。
浦島太郎伝説についてはこちらもご参考ください↓
もう一つの浦島太郎伝説の地は、京丹後市網野町にある「嶋児神社(しまこじんじゃ)」。こちらも浦島太郎(浦嶋子)を祀っています。神社自体はものすごく小さいのですが、周りをよく観察するとおもしろい発見がたくさんあるんですよ。例えば、神社の脇には自然にできた干潟があり、ここに浦島太郎は釣った魚を放していたのだとか。
また、亀にまたがる浦島太郎の石像も設置されています。このほかにもさまざまな奉納物が置かれていて、これらは長寿を祈願するものなのだそう。
また、神社へ行く途中の道には道路を横断するように建つ鳥居も(写真左)。さらにここから徒歩10分ほどのところにある福島は、浦島太郎と乙姫が初めて出会った場所といわれています。そこにはなんと赤いハート型の岩が(写真右)。
各地に伝わる浦島太郎伝説をぜひ巡ってみてください。
1泊2日で丹後を旅した記事はこちら↓
かわいいイラストに思わずパケ買い!
京都丹後のクラフトビールTANGO KINGDOM Beer®
今回ご紹介した丹後七姫の素敵なイラストは、道の駅 丹後王国「食のみやこ」内にある「京丹後クラフトビール」で使われています。このビールは、世界のビール審査会で累計10回以上の受賞を誇る高品質で飲みやすい味わいが特徴。左から順に、
<マイスター>副原料に丹後産コシヒカリを使用しており和食、特に焼魚との相性◎
<ピルスナー>ホップの上品な香りと爽快な喉越しが特徴。ソーセージと塩味のフライドポテトと相性バッチリ。
<スモーク>5種類の麦芽をブレンドし心地よい苦みとスモーキーな香りが魅力。スモークサーモンやチーズと合わせても◎。
<ヴァイツェン>爽やかな口当たりとフルーティな香りが特徴。レモンなど柑橘類をトッピングしてカクテル風に。また辛口のカレーとも相性バツグンなんですって。
<ロンドンエール>軽快な苦みとフルーティな香りが特徴。醤油など発酵食品と合うのでお刺身や和食と共に。
<アンバーエール>芳醇で香りが強いで牛筋煮込みや煮つけなど味の濃い和食とも相性よし。
<メルツェン>すっきりさと香ばしさが特徴。ビールのお供の王道、ソーセージなどと共に。
丹後七姫の聖地を巡ったお土産としてお買い求めください♪
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京都丹後のクラフトビールTANGO KINGDOM Beer®
住所:京都府京丹後市弥栄町鳥取123
電話:0772-65-4193
購入:道の駅 丹後王国「食のみやこ」、通販サイト 丹後王国こだわり市場、有名百貨店 他
京丹後市にも七姫あり!
天皇家にゆかりのある川上摩須郎女
丹後地域に伝わる「丹後七姫」は、前述したとおりですが、実は京丹後市に伝わる「京丹後七姫」というのもあるんです。
七姫は羽衣天女、細川ガラシャ、間人皇后、静御前、乙姫、小野小町、そして、川上摩須郎女(かわかみますのいらつめ)です。(安寿姫がいません)
川上摩須郎女は、丹波国の豪族川上摩須の娘として生まれ、後に丹波の国王と結婚。娘は垂仁天皇の后になり、孫は景行天皇に、そして景行天皇の息子(ひ孫)はあの日本武尊(ヤマトタケル)だと言われています。
香り豊かな7種のフレーバーティー「京丹後七姫茶」
そんな京丹後七姫にちなんだ「『京丹後七姫茶』-7FLAVORS- 煎茶(フレーバーティー)7種詰め合わせ」(1個・税込1280円)が2022年11月に誕生しました。こちらは京丹後産の上級煎茶をベースに、ドライフルーツなどを入れたフレーバーティーです。味は、煎茶、レモン、ゆず、生姜、黒豆、リンゴ、パインアップルの7種類。
京丹後市観光公社の公式WEBサイト「京丹後ナビ」内にある「海の京都 旬の京丹後ふるさと便」や、京丹後市観光公社の窓口などで購入できますよ。かわいらしい七姫を眺めながら、温まってくださいね。
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京丹後市観光公社
窓口:京丹後市網野町網野367 アミティ丹後1F
電話:0772-72-6070
時間:8:30~17:15(窓口は9:00~17:00)
休み:日曜、年末年始
https://www.kyotango.gr.jp